http://draftdeasobo.atgj.net/%E2%96%A0%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%88%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E6%8C%87%E5%90%8D%E7%B5%90%E6%9E%9C%EF%BC%9A1980%E5%B9%B4%EF%BD%9E1999%E5%B9%B4/1998%E5%B9%B4%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%88%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E6%8C%87%E5%90%8D%E7%B5%90%E6%9E%9C1998年ドラフト会議指名結果
松坂、新垣、古木、上原、二岡、福留など
★各球団は指定枠で指名する2選手を、1位、2位の順番をつけて同時に提出。高校生は希望を聞かない。
ロッテ 阪神
1 小林雅英(東京 ガス)投 藤川球児(高知商高)投
2 里崎智也(帝京大学)捕 金沢健人(NTT 関東)投
3 川井貴志(城西大学)投 福原 忍(東洋大学)投
4 寺本四郎(明徳義塾)投 部坂俊之(東芝府中)投
5 小島大作(西日短付)内 寺田祐也(静岡高校)内
6 ********** **********
7 ********** **********
8 ********** **********
近鉄 広島
1 宇高伸次(近畿大学)投 東出輝裕(敦賀気比)内
2 藤井彰人(近畿大学)捕 井生崇光(東筑高校)内
3 山崎浩司(大産大付)内 矢野修平(高鍋高校)投
4 面出哲志(三菱三原)投 森笠 繁(関東学大)外
5 藤崎紘範(宮崎第一)投 小山田保裕(城西大)投
6 松本拓也(日本航空)投 新井貴浩(駒澤大学)内
7 松比良平太(習志野)捕 酒井大輔(春日丘高)投
8 吉田好太(桐蔭学卒)内 広池浩司(立教大卒)投
ダイエー ヤクルト
1 新垣 渚(沖縄水産)投 石堂克利(愛工名電)投
1 吉本 亮(九州学院)内 **********
2 松 修康(東北福大)投 牧谷宇佐美(旭川実)投
3 小椋真介(福工大付)投 橿淵 聡(日立製作)外
4 福山竜太郎(法政大)投 本郷宏樹(龍谷大学)内
5 水田章雄(大和銀行)投 河端 竜(龍谷大学)投
6 ********** 高橋一正(明徳義塾)投
7 ********** 丹野祐樹(仙台高校)投
8 ********** 丹波幹雄(ウィーンB)投
オリックス 巨人
1 新垣 渚(沖縄水産)投 上原浩治(大阪体大)投
1 ********** **********
2 川越英隆(日産自動)投 二岡智宏(近畿大学)内
3 相川良太(東海大学)内 加藤 健(新発田農)捕
4 木村昌広(日立製作)投 安原政俊(中央学院)投
5 徳元 敏(東農生産)投 酒井純也(矢上高校)投
6 ********** 玉峰伸典(王子製紙)投
7 ********** 進藤 実(NTT 東北)投
8 ********** 高野 忍(中山製鋼)外
日本ハム 中日
1 松坂大輔(横浜高校)投 福留孝介(日本生命)内
1 実松一成(佐賀学園)捕 **********
2 建山義紀(松下電器)投 岩瀬仁紀(NTT東海)投
3 立石尚行(NTT関東)投 小笠原孝(明治大学)投
4 森本稀哲(帝京高校)内 蔵本英智(名城大学)外
5 阿久根鋼吉(NTT関)内 川添将大(享栄高校)投
6 伊藤 剛(NTT関東)投 矢口哲朗(大宮東高)投
7 ********** 新井峰秀(高麗大退)外
西武 横浜
1 松坂大輔(横浜高校)投 松坂大輔(横浜高校)投
1 ********** 古木克明(豊田大谷)内
2 赤田将吾(日南学園)内 矢野英司(法政大学)投
3 星野智樹(プリンスホテ)投 金川直樹(山陽高校)内
4 柴田博之(東北福大)外 福本 誠(法政大学)内
5 ********** 金城竜彦(住友金属)外
6 ********** 小池正晃(横浜高校)外
★この年は球界を代表する選手が多数指名されています。高校生はいわゆる「松坂世代」と言われ、藤川、東出、赤田、森本などで4年後の大卒の松坂世代も華やかでした。大学、社会人も即戦力と呼ぶにふさわしい選手が多数いました。
何と言っても松坂大輔!何十年に一人の「平成の怪物」と呼ばれMAX152キロと切れ味抜群のスライダーやカーブにチェンジアップまで操り、高校生にしてプロのような完成度を誇っていました。センバツで優勝し、夏の甲子園では決勝でノーヒットノーランで春夏連覇を決めるというド派手な実績を作り上げた。当然のことながらこの松坂にに何球団が競合するかが話題になった。しかし、松坂は横浜以外は社会人に進むと強硬な姿勢を見せた。それでもひるまず、日本ハムと西武が入札し西武が引き当てた。入団交渉は苦戦したが入団に何とかこぎつけた。大輔という名前は、あの早実の荒木大輔のように甲子園で大活躍して欲しいという願いでつけたそうですが、それを上回る活躍でした。もうプロ入り後の活躍は言うまでもありません。リスクを冒していった西武、日本ハムには敬意を表したいですね。
松坂を引き当てられなかった無念の横浜は古木を指名。中日の地元のスラッガーで欲しかったのですが縁はありませんでした。ちなみに横浜は、6位で横浜高校の外野手・小池を指名しています。
また、もう一人の高校生の目玉投手で長身から投げ下ろすMAX151キロ右腕の新垣は、ダイエーと相思相愛だったが、オリックスが果敢に指名し引き当てた。しかし、入団を拒否し、担当していた三輪田編成部長が飛び降り自殺をしたというショッキングな事件が起きてしまいました。直接の原因かは分かりませんし、これは新垣が悪いわけではありません。
高校生1位では、東出・石堂が1位評価か微妙なところでしたので入札には驚かされました。東出は、甲子園に3回出場していて小さいけど、とびっきりの俊足と強打で大注目でした。この頃自分はそろそろ立浪の後釜を獲得し育成して欲しいなあ、と考え始めていたので、うってつけの選手だなあ、と熱視線を送っていました。中日は福留&岩瀬が決まっていたので、3位まで残っていてくれ!と祈っていましたが、あっけなく夢が潰えました。
もう一人の石堂は愛工大名電で甲子園出場しましたが、1回戦で赤田のいた日南学園に敗れて、石堂は登板せずに外野手として出場していました。石堂の私の評価としては地元の大型の左打者で4位ぐらいかな、と思っていたのでビックリ!この指名の瞬間、「名電」→「投手」→「左打者」というキーワードから「イチロー」というイメージが出来上がり、ドキッともしました。ヤクルトも投手でダメでも野手としても、という気持ちはあったようですが、純粋に投手で1位指名しました。プロ入り後はケガが多く、素材の良さを見せたシーズンもあったが大成は出来ませんでした。
大学社会人では、福留が1995年のPL学園時代に、史上最多の7球団が競合して近鉄が引き当てたが、意中(巨人、中日)でないとし、日本生命に進み3年後のこの年中日入りが晴れて決まった。巨人は上原&二岡という大物を追いかけていた事もあり、ドキドキしましたが関心が薄かったですね。ちなみに3年前「よっしゃーっ!」と引き当てた近鉄・佐々木監督は中日の打撃コーチとなっていて、時を経て福留を指導する事になった。「これで10年ショートを獲らなくて良い」と言われていましたが、正直内野守備は上手くありませんでした。特に送球は悪かったです。たまらず外野へコンバートするもフライを落球してサヨナラ負けしたり悲惨でしたが、努力が実りNO.1外野手となっていきました。
上原は、東海大仰星高校時代この年日本ハム2位の建山の控え投手だったが、大学に入り大ブレイクで日本代表でキューバを下す好投などで、松坂と双璧の評価があった。本人はメジャー志向があり、最終的にエンゼルスと巨人との間で争奪戦となり「日本では巨人がメジャーなので」というアンチ巨人ファンはカチンとくる発言もあり巨人入り。
もう一人の即戦力150キロ右腕・矢野は横浜高校の出身で、相思相愛で横浜が逆指名を勝ち取った。しかし、プロ入り後は期待通りの働きとはならなかった。
二岡も日本代表の大型内野手として、春先から大人気で阪神や地元の広島が1位指名でラブコールを送り続けた。阪神は松坂にも興味があり少しブレていたが、広島は浮気することなく熱視線を送り続けてきて、入団するものだと思われていたが、突如巨人を逆指名し、広島ファンの非難の的になってしまった。
高知県高校投手が熱い年になりました。「高知三羽烏」の高知商・藤川、高知・土居、明徳義塾・寺本が有名でした。甲子園の女神は寺本に3回微笑んだ、寺本のチームメイトで控え投手の高橋もヤクルトの6位で指名されています。プロの評価は圧倒的に藤川でした。ひょろひょろでしたが回転の素晴らしい快速球が持ち味でした。名前の「球児」は父が草野球でノーヒットノーランをやった次の日に生まれたため命名。
中日は即戦力左腕の岩瀬が地元と言う事もありすんなりと逆指名が取れた。岩瀬はずっと愛知県で野球をしていて、愛知大学では打者としても注目されていた。3位は川上の後輩の明治大・小笠原、4位英智と最高のドラフトとなりました。
この会議で、大和銀行の投手が西武から5位で指名を受けたが、先にダイエーが同チームの水田投手(5位)を指名していたため、野球協約「社会人野球の同一チームから複数の投手を指名することは、チームの承認がない限りできない」ということで“幻”となった。大和銀行は承認していなかった。
日本ハムの4位・森本は在日韓国人の父と日本人の母を持ち「ひちょり」という発音は韓国の発音にちなんでいる。小学校時代に円形脱毛症になり苦労をしたことを忘れないためと、同じ病気の人を勇気付けるために、ほぼ病気は完治したが今でも毎日剃っている。そんな森本は帝京で甲子園出場し後にダイエー入りする浜田・和田毅からホームランを放つなど強打の大型内野手として指名されました。
ヤクルト8位の丹波は、横浜高校を卒業し野球から離れていたが、1995年8月に、同じ横浜高校でエースで4番で将来を嘱望されていた弟・慎也が心臓発作を起こして急逝。その後弟の遺志を継ぐべく翌年鎌倉のクラブチーム・ウィーン・ベースボールクラブに入団して野球を再開しプロの指名を受けた。ちなみに弟・慎也が急逝したのち急遽エースになって奮闘したのは、2004年に同じヤクルトに指名された松井光介だった。
4位以降の指名では、横浜5位に金城、中日4位に英智、ヤクルト5位に河端、広島6位に新井などがいました。
【1999年新人王】
セ・リーグ:上原浩治(巨人)新人
パ・リーグ:松坂大輔(西武)新人
[0回]
PR